伊勢与市の発想

この記事は有料メールマガジンを一時的に無料にて公開しているものです。

有料メールマガジン「日刊アクトパスNEWS」のご案内はこちら

==============================================================================

有料メルマガ「日刊アクトパスNEWS」会員の皆様

今日は 2021年11月19日です。

◆伊勢与市の発想

 伊勢周辺の温浴施設めぐりをしていたところ、面白い銭湯に出会いました。それは伊勢市の勢田川ぞいにある「旭湯」。
https://ise-asahiyu.com/

銭湯のルーツは伊勢にあり、ということで、歴史のストーリーとともに潮湯(海水を汲んだ浴槽)を体験させてくれるミュージアム銭湯です。

料金をとって入浴させる、いわゆる公衆浴場のビジネスとしての歴史を紐解くと、戦国時代の天正19年(1591)、徳川家康が江戸入りした翌年に、伊勢与市という者が銭瓶橋(大手町のあたり、現在の現在の呉服橋と常磐橋の中間付近にあった橋)の近くで風呂屋を開業、永楽1銭の代金をとったのが銭湯の始まりと言われています。
(「銭湯の歴史」【公式】東京都浴場組合 https://www.1010.or.jp/guide/history/

以前勤務地だった丸の内からすぐ近くでしたので、跡地に記念碑が建っているのを見たことがあります。銭瓶橋界隈は家康の築城や町づくりのために諸国から建築資材が陸揚げされ、それにともなう人も集まり、大変な活況を見せていたようです。

出稼ぎのため江戸の町づくりに参加した伊勢の与市さんは、お伊勢参りの参拝者が二見浦で禊(みそぎ)をする習わしをヒントにして、江戸で銭湯を作り、人夫たちの汗と疲れをとるのに一役買ったといわれています。

当時の銭湯は「伊勢出身の人がつくった伊勢風呂は小屋の中に石を多く置き、その石を焼いて水を注ぎ湯気を立て、その上にスノコを設けて入る」という蒸し風呂方式、今でいうスチームサウナのような設備で男女混浴、上下の別もなく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所でした。

慶長年間の終わり(1615年)頃には、「町ごとに風呂あり」といわれるほどに銭湯は広まったそうですので、わずか20年ちょっとで一気に普及したということになります。

・人の多い立地を狙って作る
・給排水条件が有利な川の近く
・大量の湯を沸かすのは難しいため石の蓄熱を利用してスチームで
・商売としてイケそうだとなれば一気に普及する

…最初の銭湯から430年経っても、考えていることは現代の温浴施設とあまり変わらないようです。

近頃は水着着用ですが、男女混浴のサウナで焼けた石に水をかけるのが流行っていますので、また江戸時代に元に戻っているようにも思えます。

430年かけて蓄積されてきた知恵は、どれほどの意味があるのか。伊勢の与市さんに現代の温浴施設を見せて、感想を聞いてみたいものです。

(望月)

Share this...
Share on Facebook
Facebook
Tweet about this on Twitter
Twitter